シリアのアサド政権崩壊

 シリアでは、2024年11月27日以降、反政府勢力が攻勢を強めていたが、12月8日に首都ダマスカスを制圧した。アサド大統領は家族とともにモスクワに逃亡し、ロシアに亡命した。アサド政権は崩壊した。この政変はなぜ起こったのか。そして、世界にどのような影響を及ぼすのであろうか。 シリアは、1946年にフランスから独立し、シリア第一共和国となった。しかし、クーデターが繰り返され、政情が不安定な状況が続いた。1970年に、バアス党内で穏健派のハフェズ・アサドが権力を掌握して大統領に就任し、その後は独裁的権力を行使した。 2000年にハーフィズ・アサドが死ぬと、次男のバッシャール・アサドが後継大統領となった。彼は、一定の民主化を進めたが、2003年のイラク戦争で、同じバアス党のサダム・フセインが倒れた後は、基本的人権を弾圧し、独裁色を強めた。 2010年のチュニジアのジャスミン革命を契機に、シリアでも40年にわたるアサド家の独裁に対する国民の不満が爆発し、2011年春に抗議運動が起こった。これに対して、アサド政権側は、ロシアやイランの支援を受けて対抗し、内戦となったのである。 これにスンニ派の過激派テロ組織であるイスラム国(IS)も介入したため、内戦が泥沼化していった。そのため、大量の難民が発生し、国外に避難した人は660万人、国内で避難生活を送る人は670万人と、第二次大戦後、最悪の難民となった。 2015年9月30日、ロシアはア続きをみる

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