年末は笑顔で

 北海道で初めて震度7を記録した胆振東部地震から2年3ヵ月が経ち、厚真町では災害公営住宅も建設されました。安心して年末を迎えられることの喜びや、あらためて課題なども聞くために、紙智子参議院議員と同町に足を運びました。松橋ちはる道9区予定候補もいっしょで、伊藤富志夫町議が案内してくださいました。

 災害公営住宅とは、災害で家屋を失い、みずから住宅を確保することが困難な方を対象とした公営住宅です。建設費も、国の補助率がかさ上げされます。しかし、1市町村での全壊戸数が200戸以上とされているため、周辺の安平町・むかわ町は対象自治体に入りません。このような課題の解決は残されています。

 足を運んだのは「新町のぞみ団地」。平屋の3棟建て、バリアフリー、約80㎡の住宅に入ると木材が随所に使われているのが目につきました。応急仮設住宅でお会いした徳竹さんご夫妻は、入居して今日がちょうど2ヵ月目。感想の第一声は「足を伸ばせるのがいいね」でした。狭い仮設住宅で2年間、よく我慢してきたものだと、しみじみと語られました。

 地震によって徳竹さんの自宅は、外壁の損傷は少なかったものの家屋内に段差ができるほどの全壊。それまで学校の交通指導員も務めるほど住民同士のつながりと大事にしていた徳竹さんは、避難所でも最後まで残って見届けていたそうです。それだけに新たな住居で落ち着けることは感慨もひとしおだと思いました。ご夫妻の笑顔が、とてもあたたかい。

 住宅ができても心のケアやコミュニティづくりが必要になるのは、これまでの各地の災害とも共通しています。のぞみ団地も、分散していた応急仮設住宅・みなし仮設住宅から移り住んできた方なので交流は始まったばかり。しかし団地内の集会所はなく、しかもコロナ禍で集まることには遠慮もあります。「近くに空いてる道営住宅を、集会所代わりに使えないでしょうか」との要望もいただきました。伊藤町議と、さっそく反映することで約束しました。

 厚真町などに何度も通うことで、支え合うことの大切さを学びました。あわせて各地の日本共産党議員が分け隔てなく要求を聞き、献身的な活動を続けてきたことも本当に尊敬に値します。災害公営住宅の敷金が3ヵ月分であるのに対し、伊藤町議が被災者の負担軽減を議会で訴えたところ30万円の支援金が実現することにもなりました。

 徳竹さんも、伊藤町議に対して「話を聞いてくれて、本当にありがたかったよ」と語られたうえに、「住民の間に、日本共産党という名前の理解も進んだのではないでしょうか」と、嬉しいお言葉もいただきました。どこでも自然災害は起こりうる時代だけに「苦難あるところ日本共産党あり」の姿勢を大事にしたいと、あらためて心に誓いました。

 以前にも訪れた、かまだ木炭さんにも足を運びました。飲食店が苦境のなかで、焼き鳥屋などで使う炭などを供給していますが、かまだ木炭さんは幸いなことに大きな減少になっていないとのこと。心配なのは「原木の仕入れ」で、これは法改定により木質バイオマス発電への供給が増えて原木が奪い合いの状況になっているのではと推測されます。町有林の活用は道内の自治体でも先進例があり、そのような支援についても話題にのぼりました。

 コロナ対策もそうですが、やっぱり現場で実態をつかむことが大切だと今日も実感です。しっかり反映させていきたい。

 【今日の句】住むことが 生きる基盤と 再確認

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畠山和也
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