原発ゼロの世論を広げたい

 あらためて原発のない日本と北海道を、との思いを強くしました。今日は「フクシマから12年、原発と核ゴミを考える3.11集会」に参加。主催は「泊原発を再稼働させない・核ゴミを持ち込ませない北海道連絡会」です。会場いっぱいで、私は後方で立って聞いていました。

 第1部は「今、伝えたいこと」として3人の方がスピーチ。福島から避難されてきた宍戸隆子さん、「後志・原発とエネルギーを考える会」の佐藤英行さん、「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」の三木伸香さん。3人の一言一言が、胸に重く響きます。

 「本当に動かしていいのか、原発で失うものはないのか、いっしょに考えてほしい」(宍戸さん)、「泊原発の敷地は埋め立てられたもの。液状化などの心配がある」(佐藤さん)、「寿都町民だけが苦しむものではない。国や町長が仕掛ける分断に対して、対話を大事にしていきたい」(三木さん)。

 どれだけ自分に引き寄せて考えているだろうかと、いつも考えさせられます。どれだけ原発事故によって人生を変えられ、知人・友人や場合によって家族までバラバラにされてきたことか。国策として進めた国の責任は厳しく問われなければいけないのに、先日の「いわき市民訴訟」は、一審判決で認められた国の責任が一転した不当判決。原告と連帯して、いっしょに声をあげていかねば。

 第2部は小出裕章さんの「核のゴミと、でたらめな原子力政策」と題した講演でした。原子力専門家の立場からも「誰も願わなくても事故は起きる。専門家も巨大な危険があることはわかっている」と強調。大都会で引き受けられない原発や「核のゴミ」を、地方へ押しつける不公正にも触れました。

 「核のゴミ」について「4つのプレートが重なる日本で、100万年にわたって安全を保障できるのか。自分で始末をつけないゴミを出すようなことをやってはいけない」とも述べました。答えが出ない現実のなかでは、私たちの目で「核のゴミ」は監視しなければいけません。「今も中間貯蔵施設で管理できるなら、東京や札幌でもできるのではないですか」との問題提起も、どう受け止めるか問われます。

 チェルノブイリ周辺では今も居住できず、福島でも制限が続いています。いくら安全を確保するとしても原発事故はくりかえし起きてきたし、過酷事故による打撃ははかりしれない。60年超まで稼働を認める岸田政権は、やっぱり無責任だと再確認です。

 昨年、札幌地裁で泊原発運転差し止めの判決がくだされました。原発ゼロの世論を北海道から広げよう。3.11の今日、決意を新たにしたい。

 【今日の句】教訓を 捨てる政府に 声あげる
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畠山和也
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